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「普通」を求めると苦しくなる
2021.9.7

 

昨日もいろいろありました。

それでも、

自分を俯瞰して見ることができていて

すごくラク。

 

あーこう思っているのだな。

あーこういう心のクセがあるな。

じゃあこうしよう。

いまはこれがいい。

 

そんなふうに

「いま、私は、どうしたいか」で

行動できることが

すごく幸せだなあと思う。

 

「他人」「過去」「未来」

ばかり見ていて

自分があってないような、

薄くて軽い日々を

長年過ごしてきているので

自分が濃くなったなあと

これもまた

俯瞰して見られることが

とても幸せ。

 

うれしいな。

 

 

長期講座Facebookグループの

投稿内容を

ご紹介させてください。

 

 

***ここから***

 

『普通の親だったら

みんなここにいないよ』

ってかなちゃんの言葉

私、お母さんに対して、

感謝とか全肯定の気持ちしか

持ってなかったんだよね、

好きすぎて。

え?当たりくじだよ?って笑

 

根っこを見ていくうちに、

もっと私を見てよ、

わたしだけ見て褒めてよって

本心にはあったんだなって

思ってたけど

『お母さん忙しいから』

『お母さん家族のために必死だから』

って思っていて

 

母に対する文句も

『もっと自分を大事にしてよ!』

とかだった。

 

 

お母さんを助けない

お父さんを悪として、

思春期の頃は

めちゃめちゃ辛くあたった

祖母と母を2人にしないように、

大きくなってもなるべく家にいて。

 

母を守っていたつもりなのに、

『わたしはこんなに

お母さんに尽くしているのに

姉や兄は自由に生きているのに

どうして1番に

してくれないんだろう』

って拗ねてた。

ずっとね、、

最近もずっとね。

 

そして、

わたしが助けたわけじゃなくて、

母が図太くなって、

祖母との関係は丸くなっていった。

 

 

振り返って宿題

もう一度書いてると

『お母さん

うまく助けてあげられなくて

ごめんね』

が、でてきた。

 

わたし、本当は

お母さんを助けたかったんだなぁ

思うように助けられなくて

報われなかった気持ちを、

特別扱いして満たして欲しくて、

拗ねていたんだなぁ

 

ま、冷静になって、

お母さんの育ちを考えたら

普通でいられるわけないんだけどね〜!

 

 

最近実家の愛犬が

亡くなったんだけど、

その子が来てくれた時

22歳の時に親離れできたんだよね。

わたしが必死に埋めてた部分を

一瞬で埋めてくれて、

私を自由にしてくれた。

 

それまで本当に

お母さんはわたしが支えなきゃいけない!

っておもってた笑笑

面白いことに

リーディングセッションでも

指摘された。

それでよかったんだけどね。

 

 

うん、

普通の親じゃなかった!

恋は盲目。みたいに盲目。

 

 

勝手にわたしは

お母さんの人生を生きていたから、

お母さんを否定することは、

自分の存在を否定することだった。

だから、できなかった。

 

でも、今は切り離して

『私の人生を幸せに生きる』

とおもえる。

 

お母さんが

普通じゃなかったと、

受け入れて

もう一度見てみると

お母さんに対する感謝が

より濃くなった気がする

 

 

今日の午後は

◯◯の講座が17:00まであるの。

前までのわたしだったら

『あ、無理だ』って

おもってただろうな。

 

保育園の先生に

今日17:30までお願いします

って言えた。

お茶会の日も

『寝かしつけおねがいしていい?』

って言えた!

 

 

振り返ったら、

成長してる部分あるね、

わたし。

 

昨日の長期講座の気づきが

今日になって

ドカンと来てびっくりしてる◯◯ちゃんでした!

 

 

書いててめっちゃ泣いた〜

言える場所があるって

癒える場所があるって

ありがたいなぁ

 

みんな今日もありがとう。

 

***ここまで***

 

 

私たちは、

私たちの思う

「普通」を求める。

 

どうにか

「普通」であってほしくて、

いまそうではないのなら、

「普通」になってほしくて、

「普通」の行動、

「普通」の返答、

「普通」の言葉掛け・・・

 

私の「普通」を求め続ける。

 

でも、その「普通」って

多くの場合、手に入らないんだ。

 

その人は、

私の思う「普通」ができない。

私の思う「普通」ではない。

「普通」には生きられない。

 

いまできないことは、

できるようにならない。

 

いまそうでなければ、

そうなることはない。

 

 

その人が、

「普通の人」

になることは、ない。

 

あなたの力で、

あなたがなんとかして、

その人を

「普通の人」

にしたいと思う気持ちは

すごくよく分かるのだけれど

それはやっぱり

無理なのです。

 

 

これ、身近な人にも

自分自身に対しても

言えること。

 

あなたの思う「普通」を

パートナーにも、

親にも、

子どもにも、

同僚にも、

上司にも、

そして自分自身にも、

求めてしまって、

苦しくなってしまっていること、

きっと多いと思うのです。

 

その人が

あなたの思う「普通」ができないのは

「あなたのことを

愛していないから」

ではない。

「あなたのことを

大切に思っていないから」

でもない。

 

そこを切り離して

考えることが大切で。

 

 

仕方ないの。

できないの。

その人は、

そう生きるしかなかった。

人は変えられないし、

その人はこれからも

そう生きていく。

 

その生き方を

「=私は愛されていない」

「=私は大切にされていない」

「=私は認められていない」

と解釈しないで。

 

 

大丈夫。

そこを見なくても、

幸せに生きることはできる。

 

 

 

 

 

今日もすてきな1日を。

 

 

 

 

 

福田花奈絵