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自分の存在価値を見出せなかった。
2021.2.24

 

最近、意識していることは、

空白の時間をつくること。

隙間を埋めようとしないこと。

 

私はついつい、

キュンキュンに予定を詰めたくなるのです。

隙間があると、何か入れないと気持ちが悪くて。

ただ、ゆるりと過ごす時間、

なんだか生産性がない気もするし。

(非生産的な自分というのが

認められないところがあるんだろうなあ)

 

テトリスしないこと、

意識しています。

 

 

そうそう、

Radiotalk始めたのですが、

最近「収録後のゆるっとトーク」なるものも

始めました。

 

それがですね、

本編よりも好評なのです。

複雑。笑

 

私はいろいろなことを学んできたし、

実践しきているので、

クライアントさんには

様々な視点からお話させていただきます。

 

もちろん、

目の前のクライアントさんの心と体が

少しでもラクになるような言葉を、と思って。

 

でもね、でも・・・

実際に落ちているとき、

悩みや問題で頭の中がいっぱいになっているとき、

私の言葉なんて

届かないことのほうが多いと思うのです。

 

私がほんとうにしんどかったとき、

人の言葉のほとんどに腹が立った。

 

「私はこんなにがんばってるのに」

「誰も分かってくれない」

「私は悪くない」

「子どもが悪い、夫が悪い、社会が悪い」

「こんな私に育てた親が悪い」

そんなふうにしか、思えませんでした。

 

でも、振り返ってみると、ですよ、

あのころの私の感情や経験も、

私の人生において

必要だったことで。

 

それがあって、いまがある。

 

だから、たとえクライアントさんに、

いま私の言葉が届かなかったとしても、

きっと、それでいいのです。

 

そのクライアントさんが、

私に相談してくださったということは、

きっと、そのクライアントさんの「いま」に、

「私の言葉」が必要だったから。

 

 

人生に、間違いなんてない。

すべてすべて、正解。

 

「間違えた」「損した」

そう、そのときは感じても、

人生トータルで考えると、

「大正解」なんですよね。

 

 

 

 

長期講座Facebookグループの投稿を

ご紹介させてください。

 

***ここから***

 

私、年末年始は

子どもに甘えられるのも、

夫に触られるのも、

なんか嫌!な状態で。

掘り下げてみると

理由は色々出てきたんだけど、

結局、そんな自分を否定してることが

一番しんどかったんだよね。

 

だから改めて

自己受容の大切さに気付いたし、

イライラしたらいつも

偏差値30の話を思い出すようにしてるんだけど、

そもそも何で

自己評価が高くなっちゃうんだろう?って

思ったの。

私、そんな自信満々で

生きてきた人じゃないのに

何でだろう?って。

 

そしたらね、

自分の出来ない部分は隠して、

出来る部分にフォーカスして

生きてきたのを思い出した。

 

働いてた職場では、

仕事の能力は底辺だけど、

英語力は真ん中より上かなとか。

あと、人の出来ない部分に注目して、

自分を安心させたりもしてた。

この人は私より仕事できるけど、

洋服はダサいな、とか笑

この人は私より可愛いけど、

学歴は低いな、とか。

 

「人を下げて自分を上げる」を

ずっとしてきたから

自己評価が高くなっちゃったのかなぁって。

 

 

相手がいても

自分が上に居られたんだから、

子育てみたいに

自分の中で完結することは

当然できるよね、みたいな。

(実際は上にも居ないし、

子育てが自己完結するわけないんだけど)

 

じゃあ何で

人を下げてまで

自分が上にいたかったんだろう?って考えたら、

やっぱり子どもの頃の記憶と

繋がったんだよね。

 

講座でも何回か話してるんだけど、

うちの両親は仲が悪くて。

(今は良くなってきてる)

物心ついたときから

ここに居ていいのかな?って

思ってたんだ。

 

唯一、

勉強や部活で

いい成績を取ってほめられたときが

自分の存在を

認めてもらったような感覚だった。

だから父から褒められるようなこと

=人よりも優位なこと

に目を向けることで、

何とか自分は存在してもいいって

思えてたんだなぁって。

そうすることでしか

自分の存在価値を見出せなかったんだよね。

 

これに気付いたとき、

よく頑張ってたなぁって

心の中でヨシヨシしたよ。

どんな自分でも大丈夫と思える今は

もう人の上に立たなくていいし

人とのかかわりに上下っていう概念はないなぁと

感じるようになってきた。

 

さらにみんなとは

心と心の深いところで繋がっていく感覚が、

とても心地いいよ。

いつもありがとう^^

 

***ここまで***

 

 

人と比較をすることで、

自分の存在価値を何とか見出してきた人って

きっと多い。

 

言い換えれば「他者からの承認」を

求めて生きてきていたのかもしれない。

 

努力することで結果を出し、

「自分は優れている」と安心したり、

自分より劣っている(と感じる)人と比較し、

「自分のほうが優れている」と安心したり。

自分より優れている(と感じる)人の

できていないところやダメなところを探し、

「自分のほうが優れている」と安心したり、

自分より優れている(と感じる)人の足を引っ張ることで、

自分を繰り上げ当選させ、安心したり・・・

 

きっと、すべて、

「私が私自身を認めるため」

「こんな私でも生きていていいのだと、

生まれてきて良かったのだと、

私自身が思えるように」

あなたが、一生懸命(無意識に)考えた末の、

行動や思考のクセ。

 

あなたは、あなたを守るために、

大げさに言うと、生きるために、

これまでは、

そうするしかなかった。

 

でも、

「私は、他者より優れていなくても価値がある」

「私は、生きているだけで、価値がある」

「私は、存在そのものが、尊い」

そう、何となくでも気づいたいま、

もう、他者と比較することで

存在価値を見出すことをしなくても

大丈夫だよね。

 

 

 

何かができる、できない、

何かを持っている、持っていない、

それらで、人の価値が決まるわけではない。

 

まだ私も、心の底から

そうは思えていないかもしれないけれど

「人は、存在そのものに価値がある」

のだと思うのです。

 

人がただそばにいるだけで、

心がホッとしたり、

温かい気持ちになったりするもんね。

 

 

自分の存在そのものを

もっと大切にしてあげよう。

 

 

そして、大切なのは、

「存在そのものに価値を見出せなかった自分自身」や

「そんな自分のこれまでの人生」を

否定しなくてもいいということ。

 

これらって、あなたの人生において

必要だったことだと思うのです。

 

すべて、すべて、正解。

間違えたことなんて、

人生において一度もない。

 

 

 

今日もすてきな1日を。

 

 

 

福田花奈絵