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また、私を知ることができた。
2021.7.4

 

昨日は長期講座5期の最終日でした。

コロナで延期に延期を重ね、

昨日の開催。

 

シンプルに、

会えてうれしかった。

ものすごく、うれしかった。

 

やっぱり、人は、

「存在そのもの」が尊いのだなあと

改めて感じました。

 

 

私は、

私の目の前の人を通して

「私」を見ることができるわけで。

 

目の前の人を見たときに、

「美しさ」

「優しさ」

「繊細さ」

「癒し」

「穏やかさ」

「平和」

「ゆるし」

「皆すばらしい」

「性善説的」笑

そんなことを感じたということは

私がそうだということなのですよね。

 

 

私はあまり

強い言葉を使わないのだけれど、

それはきっと

私には必要じゃないから。

 

それが弱さだと言われても

それが優しさではないと言われても

自分に自信がないからだと言われても

いいの、私は、それで。

 

こんな自分ではダメだと

強い言葉を使おうとしたり、

言い切ろうと心掛けたり、

煽ろうとしてみたり、

私が私がと前に出ようとしてみたり、

批判的になってみたり・・・

してみたのですよ、私も。笑

 

でも、違和感があった。

 

 

良かったなあ。

気づくことができて。

また、自分への信頼が増した。

 

私は、この私で生きていく。

それで良いのだと思えました。

 

 

 

でね、ウケるのが。笑

このことって

ずっと、夫が、

私に言ってくれていたこと。笑

 

夫は私よりも敏感で、

ちゃんと気づくことができるし、

違和感を無視しない。

 

そんな敏感な夫が

自分の違和感を

無視してしまうときというのは、

決まって、

私たち家族への愛が

自分ではコントロール不能なくらい

溢れてしまっているとき。

 

正確に言うと

私たち家族(いや、私)が

夫の愛を

上手に受け取ることができず、

夫が、

私たち家族との愛の循環を

感じられていないとき。

 

夫の愛は

ものすごく大きいから

常に常に、

「受け取る」ということを

心掛けていないと

さらさらとこぼれ落ちてしまう。

 

ちなみに

私が夫の愛を

受け取ることが

できていないときというのは

私が男になっているとき。笑

ひとりでがんばらなきゃ、

どうにかしなきゃ、と

思っているとき。

 

 

 

私たちは、もっと、安心していい。

 

安心の中で、生きたいように、生きていい。

 

 

 

 

 

今日もすてきな1日を

お過ごしくださいね。

 

 

 

 

 

福田花奈絵