ほんとさ、人って、
「大変」でいようとするよね。
「不幸」でいようとするよね。
問題にしなくていいことを
問題にするし、
悩まなくていいことを
悩みにする。
かまってもらえるもんね。
優しくしてもらえるもんね。
話聞いてもらえるもんね。
そっちのほうが
妬まれないし嫌われないって
思い込んでいるんだよね。
でも苦しいよね。
ずっと「大変」でい続けなきゃいけないもんね。
いつまで経っても「幸せ」になれないもんね。
「問題」が解決しちゃったら困るから
ずっと悩んでいなきゃいけないし、
「もらうこと」に必死だから
すてきな人たちは自然と離れていくもんね・・・
こういう状態にあるとき、
意外に役に立つのが
「お金」を見ることじゃないかなあと
思ってる。
「元を取ろう」
「損したくない」
「せっかくだから」
「無料だし」
「これだけお金使ったんだし」
そんな気持ちがもとにある
言動をしようと思ったとき、
ぐっとこらえることを
意識してみると、
ちょっと生き方が変わる気がする。
「足りない」
「満たされない」
「もっと欲しい」が
ちょっとだけマシになる気がする。
長期講座Facebookグループの
投稿内容を
ご紹介させてください。
***ここから***
一昨日、子どもが高熱を出して早退したの。
このご時世なので抗原検査して結果が出るまで
私も旦那も自宅待機ってことで
家族で1日引きこもりだったのだけど…
(検査結果は溶連菌でした)
夫に対して。
朝、子どもが話しかけてるのにソファで寝始めたの。
「え?起きたばっかだよね?
子どもが話しかけてますけど?
パパ遊んで〜って言ってますけど!?」
って思ってイライラ。
仕事がいつも忙しくて疲れてるのはわかるんだけど、
一緒にいられる時間が少ないからこそ
子どもの話をちゃんと聞いてあげて欲しいなあ。
こんなことでイライラしてる私って心狭いなあ。
あ、わたし自分のこと責め始めた!
って気づいたら、
「パートナーは鏡」っていう
かなちゃんの言葉が浮かんだの。
なんでイライラしてるのか
もうちょっと深く考えてみたらね、
「自分より子どもを優先するのが当たり前」
「だらだら過ごすことは良くないこと」
って思い込みがあることに気づいたよ。
自分を優先したくても
子どもがいたらそんなのできない。
子どもの欲求にはすぐ応えてあげなきゃいけない。
だらだらしてる時間があったら
家事とかやることやらなきゃだめ。
それなのに!
なんであなたはそれをやってるの!?
私と同じようにしてよ!
やりたいことができない苦しみをちょっとは体験してよ!
って言葉がどんどん出てきたよ。
無意識にいい子でいようとして、
自分を納得させようとして、
こんなこと思っちゃダメだって思ってたんだなあ。
そんなこと考えてたらね、
かなちゃんが話してた
「妻に休んで欲しいからわざと目の前でゴロゴロしてます」
っていう旦那さんがいたって話も思い出して、
ちょっと笑っちゃって。
イライラがどっかいっちゃった。笑
こんな些細なイライラにも、
自分の思い込みってたくさんあるんだね。
わたしだって子どもの前でゴロゴロしたっていいし
昼寝したっていいんだよね。
家事もしなくても別にいいし、
遊んであげなきゃって思わなくてもいい。
したいことしてもいい。
すこーしだけ、ゆるめられたような気がする。
今日も保育園お休みしたんだけど、
お昼、いつもなら自分の分はお金使わないようにって
家にあるものでテキトーにするんだけど、
スーパーでみつけた海鮮丼が
すごく食べたくなったから買った!食べた!
ほんとに美味しかった!
やりたいことやってやったぜ!
っていうのを記録しておきます。笑
***ここまで***
もうすっかり
忘れてしまっているのだけれど・・・
私にもこういう時期があったわけで。
子どもや夫にイライラしては
「この子ども(夫)がお手本なんだよね・・・」
「この子ども(夫)を真似して、
行動してみると良いんだよね・・・」
と、1回1回確認して、
勇気を出してやってみる、
を繰り返していたのですよね。
もちろん、いっぱい失敗もした。
損したこともあったし、
余計にイライラしたこともあった。
でも、それでも、
私は私の人生を諦めたくなくて
いろいろやってきたなあと思いました。
長期講座で学んでいた半年間だけでも、
・好きなものしか食べない
・家事がしたくないときは次の日に持ち越す
・お皿洗いや洗濯などを忙しい夫に頼む
・下の子を夫に預けて、上の子と二人でケーキを食べに行く
・自分自身の学びのために、土日に家を空ける
・ひとりでカフェに行く
・子どもがいる中、昼寝をする
・お夕飯をマックのポテトにする
・ランチの時間にスイーツを食べる
・行きたいときにトイレに行く
・食材はほぼ宅配にする
・「しつけ」を最小限にする
・毎日行っていた支援センター、雨の日や疲れている日は行かないことにする
・それで自分がイライラしても、私はその程度の人間なのだから仕方がない、と諦める
・「私が楽しめるもの」でしか、遊びの相手をしない
・子どもたちの食事が毎日同じメニューでもOKにする
・食事も片付けも夫に任せて(何も準備せず)外出する
あたりをやってみました。
(もちろん、めちゃくちゃ怖かった
「長期講座に申し込む」ができたことが
いろいろなことに挑戦する
きっかけとなっていますが)
やってみてゆるんだことも
もちろんあるし、
「私がしたいことはこれじゃない」
と気づいてやめたこともあります。
しばらく続けてみたけれど
合っていないと感じて
やめたこともあれば、
一度やってみたら
その後は特に何も気にせず
(罪悪感や後めたい気持ちもなく)
できるようになったこともある。
勇気を出してやってみて、
私はいまどう感じるのか、
ほんとうはどうしたいのか、
ひとつひとつ確認していました。
現実がすぐに、
分かりやすく変化するわけではないので
(例えば、子どもに全くイライラしなくなる、とか、
魔法のように人目が気にならなくなる、とか
いきなりお金持ちになる、とか。笑)
これを続けてほんとうに幸せになれるのかな?と
若干疑ってもいたけれど・・・
正直、いろいろ、ほんとうにいろいろ、
学んできたし、やってきていたこともあり、
「とりあえず、いまやれることは全部やろう」
と思ったのですよね。
そして、いま(2022年現在)
やっていることも同じ。
同じことをずーーーっとやっています。
私はすぐ大切なことを忘れてしまうし、
いまも過去の自分の思考・言動のクセが
出てしまうときがあるのです。
そして何より「幸せ」を探求することが
ほんとうに楽しくて仕方ないので
・学ぶこと
・人の力を借りること
・自分の心と体を見ること
・自分の心と体のケアをすること
・挑戦する(やってみる)こと
なんかは
もうずっと、何年も続けています。
(私の幸せがいまも右肩上がりで増え続けているのは
「幸せ」に対する執着心がものすごいからだと思います)
どうせがんばるなら、
「幸せ」であることをがんばりたい。
自死願望の強かった私。
「私として生まれてきて良かった」
「私として生きる人生をもっと楽しみたい」
なんて思っていることを
過去の私が聞いたらひっくり返るだろうな。笑
何が起こったの?????って。
いやね、きっかけはさ、
「夫と結婚して、子どもが生まれたこと」だよ。
きっとそれ聞いても
過去の私はひっくり返るんだけれど。
それはまた、別の機会に。
今日も、明日も、
より多くの人が
幸せに生きることができますように。
福田花奈絵