Now Loading...
ステイホームで感じたこと
2020.5.31

 

子どもたちの学校、そして保育園が

始まります。

 

 

4月初旬からの休校、休園。

 

なんだかとても特別な時間を

過ごすことができたような

気がしています。

 

こんなに子どもたちと

べったり過ごすことって

もしかしたら今後ないのかもしれない。

 

 

私は、朝、4時に起きます。

それから、お仕事。

 

たまに、子どもたちが

5時とかに起きてくると

お膝に座らせて

スマホでできる仕事をしたり、

仕事部屋からリビングに行って

仕事をしたり。

 

 

これまでは

朝できなくても何とかなったけれど…

1日中子どもがいた約2ヶ月間は

この朝の時間を

いかに有効的に使うかが

勝負だったような気がします。

 

 

1日中一緒にいると

ほんとうに仕事がはかどりません。

 

 

「ママ〜トイレついてきて〜」

「ママ〜折り紙のここ、わかんないから教えて〜」

「ママ〜お腹減ったから、ご飯作って〜」

「ママ〜見て見て〜!」

「ママ〜ピザ屋さんだよ!注文しにきてくださ〜い」

 

こういう呼びかけ

ひとつひとつは大したことないけれど、

度々作業が止まると

ほんとうに進まない・・・

 

この2ヶ月間、

「ちょっと待ってね」って

100万回くらい言った気がする・・・

 

 

でね、これ、

心のしくみ学ぶ前だったら、

きっと、罪悪感でいっぱいだったと

思うのです。

 

 

「ちょっと待ってね」と言うこと。

「子どもが遊びたがっているのに

仕事をしている」ということ。

「そもそも、こんな、

子どもを後回しにしなければいけない仕事を

やっている」ということ。

 

 

私は、罪悪感と

とっっても仲良しだったから

いまでも、すぐ、

引っ張られそうになります。

 

罪人でも、悪人でも、ないのに。

 

 

でも、知っているだけで違う。

「私は罪悪感をもちやすい人間なんだ」

「でもその罪悪感は、必要がないんだ」

 

自分が知っているだけで

目の前の出来事の見方は

変えられる。

 

 

罪悪感って、結局、

自分を責めているということ。

 

この「自分を責める」があると

「そのきっかけや原因をつくっている

誰かや何か」を責めたくなるんですね。

 

例えば、

「頻繁に声を掛けてくる子ども」

「少しの時間もガマンできない子ども」

「協力的じゃない夫」

「在宅勤務の場合預かってくれない学校や保育園」

「具体的なサポートしてくれない行政」

などなど・・・

 

 

この

「誰かや何かを責める」

「誰かや何かにイライラする」

が始まると、もう、悪循環。

 

子どもにイライラすると、

子どもも不機嫌になって、

より言うことを聞いてくれなくなる。

 

 

夫にイライラすると、

「もう、全部自分でするもん!すればいいんでしょ!」

って拗ねて、自暴自棄になって、

抱え込んで、もっと苦しくなる。

 

 

社会にイライラすると、もう、

「すべてが私の敵」になってしまって

「どうせ私は」が加速する。

 

 

だから、「罪悪感」って

手放せたほうがいいのです。

 

一瞬の罪悪感は

仕方がないけれど

少なくとも

もち続けるのはやめたほうがいい。

 

自分も周りの人も

苦しくなってしまうから。

 

 

この2ヶ月間で

罪悪感とうまく向き合えたことは

自分にとって

ものすごく良い経験になりました。

 

 

きっと、子どもたちに、

ガマンさせたこと、

悲しい思いをさせたこと、

たくさん、たくさん、ある。

 

 

でも、その時その時、

私は一生懸命だったし、

それ以上のことはできなかった。

 

 

もっとうまくできるお母さんに

なりたかったな〜なんて

思うこともあったけれど

私にはこれが精一杯でした。

 

いい意味で諦めることって

ものすごく大切だ。

 

 

子どもたちとこんなにも一緒の時間を

過ごすことができて、

ほんとうに幸せだったな。

 

 

そんな、ステイホーム。

 

たくさんの気づきを

私に与えてくれて、

大切な人やモノやコトを

もっともっと

大切にすることができそうです。

 

 

 

 

 

今日もすてきな1日を。

 

 

 

 

福田花奈絵